日経新聞のあるコラムに目が止まりました。
批評家の若松英輔さんが書いている内容で、「知」と「叡知」に関して書かれていました。
「知はたくみに表現され、人を驚かせる。だが叡知は、静かに体現され、その姿を見たものに黙考を促す。叡知は沈黙のなかで育まれる。」
そして、『青い鳥』の著者であるメーテルリンクの言葉として、こう紹介していました。
何より叡知は軽蔑することがない。世の中に軽蔑すべきことは一つしかない。それは軽蔑そのものだ。
このコラムの内容は難しいのですが、それでも何となく気になり、赤線をたくさん引き、何度も読み返しています。
叡知とは。
インターネットで調べると、こんな意味が出てきます。
「すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。」
メーテルリンクのいう叡知と軽蔑の関係性。
若松さんは「蔑みから自らを遠ざけること、それが叡知の原点」と解説しています。
確かに、「知」が増えてくると、知らない人を軽んじてしまう傾向があります。
自分のことを振り返っても、とくに若いときはそうだったように思います。
そして、物事の道理(叡知)を探究するようになると、少しずつその傾向は和らいでいく気がします。
でも、叡知の一端に触れることで優越感が起き、そこに他者を軽んじる気持ちが出てしまうのであれば、それは本当の叡知の姿ではないということなのでしょう。
メーテルリンクの中にどういった哲学があるのか、大変興味を感じたコラムでした。
と同時に、このような内容をコラムとして書いた批評家の若松さんにも興味を引かれました。