1133 死語になるまえに

「推し活」に関心が出てきました。

日経新聞によると、3人に1人が推し活をしているそうです(「推し活、物価高何のその」 2026年4月5日)。

推し活とファンとは何が違うのか。

記事では、「昭和の『追っかけ』や平成の『オタク』はファン自身が満足を得るために消費したのに対し、推し活は『推し(対象)』を直接応援するのが特徴」とあります。

・・・わかるようで、いまいちわからない。

ネットで調べていくと、「推し」とは「他人にすすめたくなるほど」というのがポイントっぽい。

・・・まだわからない。

私が中学生のときにハマっていたチャゲアスは、あれは推しだったのだろうか。

他人にすすめたくなるほど好きだったし、実際にすすめていた。

でも、あれを「推し」とは言いたくない自分もいます。

あれは「ファン」にしておきたい。

推しの対象は歌手やスポーツ選手が多いですよね。

なぜ著名人なのでしょう。

周りで頑張っている人でも良さそうなものなのに。

夢を追っている友人のために推し活してあげたら、こんな心強いことはない。

友人はいつやめてしまうかわかりませんが。

記事を読んでいて一番違和感を抱いたのはこの部分です。

「活動の様子をSNSに投稿して自分の推しを広く世の中に知ってほしいという志向」

自分が応援している姿をSNSで見せていく – 何のために。

ほんとうに「広く世の中に知ってほしい」からなのだろうか。

もしそうなら、その背景にある応援者の思いってなんのか、それは利他心なのか。

推しを通して自分を見せたいという承認欲求なのか。

自分ってどこにいっちゃったんだろう。

もし自分の周辺だけで満足できない人が増えていることの現象として「推し活」があるのだとするなら、そこを掘り下げてみたいです。

「推し活」という文字を見ても今まではスルーだったのですが、なぜだか急にいろいろな疑問がわくようになってきました。

死語になるまえに考えておきたいと思います。

経営経験やコーチングの実践を通じて、深い対話により経営の選択肢を広げ、納得感のある意思決定をご支援しています。また、組織やチームの関係性を育む支援に取り組んでいます。3Cサポーター/中小企業診断士
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