「あたり前」と思っていた世界観は移り変わる。
世界情勢を見ていて変化が起きていますよね。
小さい頃からずっと大事だと言われてきた価値観−「民主主義=善」「グローバル協調」「法の遵守」「人権」「平等」「平和」など。
これらの先頭に立っていたと思っていた国が、自国ファーストで内向きになり、利益のためなら何かで正当化しながら他国へ軍事行動を起こす。
その中で権威主義の国々による自国利益追求の動きがあちらこちらで出ている。
あたり前と捉えていた価値観が揺らいでいます。
英国The Economist誌の『The World Ahead 2026』で、カナダのカーニー首相の寄稿文が出ています。
その中で、今の時代は「可変的な構造時代(variable geometry)」と言っています。
国際機関が機能しなくなっているので、価値観や利益を共有できる国々が連携しながら進めていく必要があると。
これを読んだとき、今は世界的に物事の捉え方が変わっている真っ只中にいるんだと強く感じました。
こう考えていくと、なんだか不思議な気持ちになります。
今まで捉えていた価値観は、「あたり前」であり、「理想的な最終形」と勝手に思っていました。
でも、それが変わっていくとなると、「最終形」なんてないんだということがわかります。
「正しい」と思っていたことが変化した先には、何が待ち受けているのか。
今朝の日経新聞で出口治明さんのインタビュー記事を読みました(『「今と長期」で本質捉える』2025.12.24)。
歴史を学ぶことは大切であると。
歴史を学ぶことで現在起きていることを本質的に見ることができる。
「先人に学ぶことで解決への思考や行動のヒントを知り、新たな発見につながることもある。」
歴史という長いスパンを考えると、今のこの数十年なんて、ほんの一握りの期間でしかありません。
今が最終形であるわけもなく、やっぱり、どこかへ向かって物事は移り変わっていく。
歴史を見ていると、人間は争いの連続です。
人間が争うことをやめることはできないのか。
「フロイトの精神分析の理論とローレンツの動物行動学の理論のどちらも、人間が生きていくためにはみずからの内部の攻撃性を他者に向ける必要があり、そのための最大の手段は戦争であると考えた。極論すれば、戦争は人間にとって生存するために不可避な必要悪だということになる。」(『対話と論争で読む哲学史入門』中山元著/筑摩選書 p. 313)
今読んでいるトマス・S・クーンの『科学革命の構造』で、「パラダイム」という考え方が出てきます。
科学では共通基盤となる考え方「パラダイム」があり、その基盤の上で研究が行われている。
ときに、この「パラダイム」が大きく変わることがあり(パラダイム・シフト)、それが起きると世の中は変わっていないのに当事者が見ている世界は変わってしまう。
科学者は新しいパラダイムを前提として研究を進めていかなければならない。
このパラダイム・シフトはそうそうあるものではないが、シフトしたらそれは大きな変革となる。
今捉えている私の世界観も、ある意味「パラダイム」の変化にあるのだろうか。
最近ぼやっと感じはじめていることです。
