「生命には本来、時間も、空間も、数量も、大小、上下もないのです。」
立花大敬さんのご著書『神様の壺』(本心庵)の中に出てくる言葉です。
人は多くの制限を自ら作ってしまう。
「もう歳だから」
「学歴がないから」
「地位がないから」
立花さんは心を制限してしまう種類を8つ挙げています。
- 時間にこだわる限定
- 空間、距離にこだわる限定
- 大小にこだわる限定
- 数量にこだわる限定
- 上下、聖俗にこだわる限定
- 有無にこだわる限定
- 生死にこだわる限定
- 自他にこだわる限定
これらの自己制限(自ら描いた制限)があると自由になれないと言います。
禅の公案が紹介されています。
公案:「千里向こうのロウソクの火を消してみよ」
普通は遠くにあるロウソクの火なんて消せないと思ってしまう。
この解答は・・・。
解答:「その場で勢いよくロウソクをフッと吹き消す動作をする」
「千里」という距離が自己制限になっているとこういう発想はできない。
距離という限定を取り払うことができれば、それは現実化する。
面白いですね。
私は、ここ最近多くの自己制限でがんじがらめになっていました。
年齢を気にしたり、知識・スキルの有無を気にしたり、人と比べたり、理想と現実で悶々としたり。
立花さんのこの言葉で自分を見つめ直す機会になりました。
こんなことを思い出しました。
20年以上前、私はアメリカで演技の勉強をしていました。
好きな役者のひとりはロバート・デ・ニーロさん。
デ・ニーロさんが『Inside the Actors Studio』という演技を学生の前で語る番組に出演しました。
当時、その番組を録画し何百回も繰り返し見ていました。
学生から質問があります。
「役者として成功するコツを教えてください」
デ・ニーロさんはこう答えます。
「役者で成功しようと悩んで悩んで、もがいてもがいてとなるよね。そこへ届かないと思うこともあるかもしれない。でも、その場所へ行ってしまえば良いんだよ。信じられないかもしれないけど、そこに行ってしまえばそこに行けるんだ。」(意訳)
この言葉が印象的だったので今でも覚えています。
先ほどの立花さんの本を読んでいたとき、このデ・ニーロさんの言葉を思い出し「ハッ」としました。
実は、デ・ニーロさんは立花さんと同じことを言っていたのではないかと。
行ってしまえばいい。
行けばそこに行ける。
そこには「距離」という限定がない。
20年以上経ってやっと意味がわかりました。