『冬物語』(ウィリアム・シェイクスピア著/小田島雄志訳/白水社/1983年)

最後は涙が止まりませんでした。
内容も面白く、笑いもあり、最後は安堵と感動で心が満たされました。
その興奮は長くは続きませんでした。
そんな単純ではないということに気づき・・・。
『セカンド・チャンス』(スティーブン・グリーンブラット著)で『冬物語』の解説部分を確認し、「セカンド・チャンス」(やり直しの人生)という視点で考えてみました。
(あらすじ)
リオンティーズ(シチリア王)は、妃のハーマイオニと親友であるポリクシニーズ(ボヘミア王)が恋仲関係でないかと疑います。
側近たちは「そんなことはない」とリオンティーズに言いますが、聞き入れないどころか、妄想はどんどん大きくなっていきます。
親友を排除しようと動き出そうとするのを見て、シチリアを訪れていたポリクシニーズは急いで帰国の途につきます。
リオンティーズはハーマイオニを牢獄に入れたあと、ハーマイオニは娘を産みます。
リオンティーズは生まれた娘が親友との間にできた子だと言い張り、遠い彼方に捨ててくるよう部下に命じます。
その後、ひとり息子は母の不幸を嘆いて悲しみのために死に、ハーマイオニの死も告げられます。
神の信託により一連の疑いは間違っていたことに気づいたリオンティーズ。
取り返しのつかないことをしてしまったことに打ちひしがれ、悔恨で明け暮れます。
16年もの間、贖罪を背負って閉じこもるリオンティーズ。
ボヘミアに捨てられた娘パーディタは羊飼いのもとで大きくなり、ボヘミアの王子と恋仲になります。
王子の父親ポリクシニーズは、羊飼いの娘と婚約しようとする王子に反発します。
王子と娘はボヘミアから脱出しシチリアへ向かい、ポリクシニーズもあとを追いかけます。
最終的に娘は羊飼いの子ではなく、シチリア王の子であることが判明。
リオンティーズとポリクシニーズも仲直り。
劇の最後では、死んだはずだったハーマイオニが姿を現します。
生きていたのです。
リオンティーズが16年間も悔恨で打ちひしがれたあと、最終的にハーマイオニと娘パーディタに出会えた。
これがリオンティーズにとってのセカンド・チャンスです。
ただ、以前と同じ状態を取り戻したとはいえない。
一人息子は亡くなっている。
娘といってもある意味他人のようなもの。
妻ハーマイオニとも、これから信頼を取り戻しやり直せるかもわからない。
ハーマイオニが最後に姿を現わしたとき、リオンティーズには声をかけず、娘にだけしか言葉を投げかけませんでした。
リオンティーズにとっては、これが本当にセカンド・チャンスであるかというと、そうとも言い切れない部分があると感じました。
一方、ハーマイオニにとってのセカンド・チャンスは、明らかに娘との再会です。
16年間を埋める作業がこれから待っている。
生きて待っていた甲斐がありました。
偶然が幾重にも繋がり、最後の結末になります。
自分だけではセカンド・チャンスは起きない。
周りの人たちや状況の変化が大きく影響するということがわかります。
『セカンド・チャンス』の中で著者のグリーンブラットはこう述べています。
「セカンド・チャンスはそれ自体で起こるものではないし、起こそうと思って起きるものでもないからだ。それは誰かほかの人次第なのであり、あなたを支えてきてくれた人次第なのであり、たとえ苦しくても自分に嘘をつかないようにしていなければ起きないからだ。」(p. 171)
リオンティーズは自分で変わろうとはしていませんでした。
16年間も悔恨で打ちひしがれ閉じこもるような生活を送っていた。
前に進めず、その場に居続けました。
面白いところは、自分が変わろうとしていないのに、周りの状況が変わっていくことで、セカンド・チャンスの入り口が見えてきたということです。
自分で変わろうとすることが必ずしも最適だとは限らない。
過去のことを消化できず、その場に居続けてもいい。
消化できていなくても、外的な要素で前に進めることもある。
人の力であったり、状況の力であったり、偶然の力であったり。
周りが変わって自分が前に進むことになったら、その環境に適応していかざるを得ない。
それは新たな自分の成長につながりますし、そこは希望だと思います。
自分がそこに居続けるという選択肢があってもいい。
いずれ周りの方が変わっていくから。
もちろん、主体的に状況を変えていこうという選択肢もあっていい。
題名は『冬物語』。
冬のあとは春が訪れます。
自然の再生でもある。
リオンティーズたちに春が訪れましたが、それがどんなものになっていくのかはわかりません。
でも、少なくとも前には進み始めたということです。
前に進めるようになる。
それが春を迎えるということなのかもしれません。
