『ホモ・デウス(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ著/河出書房新社)

ハラリさんの著書。
上下巻あるうちの下巻です。
人類(ホモ・サピエンス)が「人間至上主義」に至った経緯、今後人類はどのようになっていくかを考察しています。
人間至上主義とは。
「人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考える。(中略)人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。」(p.45)
そして、人類は次の段階である「ホモ・デウス」(「神のヒト」)へとアップグレードしようとしている。
そこにはバイオテクノロジーやAIが密接に関わってきます。
テクノロジーを使えば人間の意識や心までコントロールできるかもしれない。
すでに我々の生活はあらゆる情報テクノロジーに依存しており、自分で決めたと思っていることも外部からコントロールされている可能性すらある。
「データ至上主義」が「人間至上主義」に取って代わるかもしれない。
「データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされている。」(p.280)
人間が他の動物より優れた存在にしているものは何か、という問いがあります。
データ至上主義の考えでは、我々がSNSへの書き込みやブログを投稿するとグローバルなデータシステムを豊かにできるため、それが価値となる。
「私たちが自分の経験をデータに変換するのに忙しいのもうなずける。これは流行の問題ではない。生き延びられるかどうかの問題なのだ。私たちは自分自身やデータ処理システムに、自分にはまだ価値があることを証明しなければならない。そして価値は、経験することにあるのではなく、その経験を自由に流れるデータに変えることにある。」(p.312)
経験から意味を見出すことが人間至上主義の根幹だったのに、経験ではなくそのデータ自体が価値であり根幹になるというのがデータ至上主義です。
テクノロジーが我々をどう導いていくのか。
人類は「データ」に取って代わられるのか。
「AIが人間を支配するようになるのか」という問いをよく目にします。
その問いの前に考えねばならいことがあると感じます。
我々の生活はテクノロジーの一部に組み込まれており、我々のデータはすでに「誰か」に支配されている。
ネットを見ていても自分に興味のありそうな広告が出てくるし、Amazonでも購入履歴や検索履歴からおすすめ商品が表示されます。
すべて自分の意思で決めていると思ってはいるが、実は自分の意思なんてちっぽけで、データを支配する「誰か」に自分の行動もコントロールされているのではないか。
当然、そのデータを支配できる「誰か」が大きな権力を握ることになります。
そう考えていくと、AIに支配されるか不安になる前に、すでに目の前にある脅威にどう対応するかをすぐにでも考えはじめる必要があると思います。
本書は哲学的な要素もあり少し難しく感じました。
こういった本は数人と一緒に何度も読みながら議論していくと気づきや得られるものが大きいのだろうと思います。
このような大きな視点で人類の未来を考えるのは大変有意義な読書体験です。
