箱根の温泉から帰ってきてから、なんだか入浴の時間が楽しい。
お湯に浸かっているだけでも幸せな気分になります。
10歳くらいまで、年に1〜2回くらい茨城県のおじいちゃん家に泊まりに行っていました。
家の前は田畑が広がっています。
車でないと来ることができない場所です。
夏の夜は田畑の脇道を歩きながら蛍を追いかけ、冬の夜は茶色の湯呑みでお茶を飲む。
当時の私はぽっちゃり体型だったため、4人兄弟の長男である叔父から「小錦」とか「大関」のような言葉を投げかけられていました。
「将来は相撲取りか」
あれが本当にイヤだった。
おじいちゃんは大正生まれで、頭の毛は薄く、背中の広い人でした。
一緒にお風呂に入ったとき、腰のあたりだったか、戦争で受けた銃弾の傷を見せてもらったことがあります。
居間ではいつも上座に座り、家長としての威厳がありました。
嫌いだった叔父は、酒好きで、いつも酔っていました。
よく風呂に入ろうと誘われ、いやいやながら一緒に入ることが常でした。
風呂には必ず、みかんだとか、ヤクルトだとか、ジュースが持ち込まれます。
叔父には娘が2人おり男の子がいないため、「あなたが来るといつも嬉しそうにしているのよ」と叔母がよく話していました。
中学生のとき、叔父が亡くなりました。
その数年前におじいちゃんが亡くなったときは悲しかったのですが、叔父の死を悲しんだ記憶がありません。
田舎で行う葬式の方に興味津々でした。
自宅でお坊さんにお経を上げてもらったあと、大人が数名で棺を担ぎ、火葬場まで練り歩くのです。
近所の人たちがお金やお菓子を棺に向かって投げ込んでいく。
お祭りのようです。
おじいちゃんのときは、従兄弟と一緒に大人に隠れ撒かれたお金を拾い上げ、駄菓子屋へお菓子を買いに行きました。
叔父のときは、学ランを着て列の横を歩きながら、娘たちの背中に目をやり、悲しみの気持ちが湧いてこない自分との対比を考えていました。
あの頃の叔父と同じくらいの年齢になりました。
私の記憶の中では叔父は不器用な人で生きています。
実際はどんな人だったのだろうか。
近所のスーパーの前の通りに木蓮の花が咲き始めました。
今日はゆっくり歩いてみよう。
みかんはまだ売っているかな。
