観よう観ようと思って、「〇〇リスト」に積み上がる作品群。
Netflixマイリスト、Amazonウォッチリスト、録画リスト。
興味はあるのですが。
そういや、「やろうやろうは、バカやろう」って言った人もいました。
2週間前から、読んだ本の気になる部分をノートに抜書きしています。
2024年5月に読み終えた『教養の書』(戸田山和久著)の中で、ある映画を面白く語っている箇所があります。
「絶対に観なきゃ」と思いつつ、Amazonプライムでは有料だったため、2年近く放ってしまった。
「今観ないと、いつまで経っても観ないな、これ」となり、レンタルボタンをクリック。
『華氏451』

本を所有することが禁じられた国で、消防士ならぬ、昇火士(ファイアマン)がサイレンを鳴らしながら本のある家に急行し、本を集めて燃やしていきます。
昇火士のモンターグは本の魅力に取り憑かれていき、最後は逃げるようにしてある村へ行きます。
昇火士から逃れた読書家が集団で生活をし、そこで1人1冊になり、一言一句暗誦できるまでになり、「本」として暮らしているのです。
「私はスタンダールの『日記』です。」
「私はマキュベリの『君主論』です。」
1966年の作品です。
「華氏451」は摂氏232℃で、紙が自然発火する温度を指しています。
本が燃やされる。
本好きには観ていられないシーンが随所に出てきます。
私なんか、「いくら撮影のためとはいえ、本を燃やすなんて・・・」って映画に入っていけない瞬間がいくたびもありました。
逃れた人たちが1人1冊になるわけですが、自分なら何を選ぶか。
天風先生の本でしょうね。
文庫版の『運命を拓く』だと持ち運びもラクだし隠しやすい。
「私は天風の『運命を拓く』です。」
うん・・・、やっぱり、「私は天風の『信念の奇跡』です。」にしようか。
一言一句暗誦できるまでには時間がかかりそうだ。
だったら、要点だけを暗記し、それを土台に、今自分が考えていることを記していきたい。
心に残ってさえいれば、細かいことはあとからどうにでもなる気がするのです。
映画の中で読書家の老婆が、家中の本を1箇所に集められ焼かれるときに自分も一緒に焼かれることを選びます。
彼女にとっては本が自分自身でもあり、本を失うことは自分を失うことにもなるのでしょう。
気持ちはわかります。
でも、自分自身の中にすでにエッセンスは染み込まれているのだから、自分が焼かれてしまうということは、権力に抵抗しているようで、権力に加担していることにつながらないだろうか。
ここ数日は風邪でもうろうとしています。
咳をしながら『リア王』を開くことにします。
