『金閣寺』(三島由紀夫著/新潮文庫/2008年)

なぜ美を壊したくなるのか?
疑問を感じながらこの作品を読み進めました。
1950年に若い徒弟僧が金閣寺に放火した事件をモデルにした小説です。
吃音にコンプレックスを抱えた主人公の溝口は、金閣寺の徒弟僧になります。
目の前にそびえ立つ圧倒的な美に苦しめられます。
次第に金閣寺を壊すことを考えます。
「いつかはきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」
(p. 196)
なぜ金閣寺を燃やさなければならなかったのか。
美とは・・・調和、華やかさ、自然、存在感、完璧。
私は美を壊したいと思ったことはありませんが、完璧に「見える」ものが壊れていく様に心が躍る瞬間があります。
たとえば圧倒的なパフォーマンスを見せる著名人に欠点が見出されると、どこかで安らぎをおぼえる。
そういうとき、たいてい私の内部では「自信のなさ」が充満しています。
溝口もそういう面があったのではないだろうか。
突然私にうかんで来た想念は、柏木が言うように、残虐な想念だったと云おうか?とまれこの想念は、突如として私の裡に生れ、先程からひらめいていた意味を掲示し、あかあかと私の内部を照らし出した。まだ私はそれを深く考えてもみず、光りに搏たれたように、その想念に搏たれているにすぎなかった。しかし今までついぞ思いもしなかったこの考えは、生れると同時に、忽ち力を増し、巨きさを増した。むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、こうであった。
『金閣を焼かなければならぬ』
(p. 242-243)
なんたる強さか。
溝口は金閣寺を燃やして、その場で死のうと思っていた。
でも、実際に火をつけると心変わりがあった。
別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。
(p. 330)
前に進めるようになったのではないか、たとえ刑務所の中で生きていくことになろうと。
なぜ金閣寺を壊す必要があったのか。
私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか。
(p. 323)
金閣寺に火をつけるときには、すでに溝口のなかでは一歩前に進んでいたはず。
美を壊す。
自信のなさが生み出すエネルギーの大きさを感じずにはいられません。
