『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ著/酒寄進一訳/光文社古典新訳文庫/2024年)

主人公にここまで嫌悪感を抱いたのははじめてです。
ウェルテルという青年の恋の悩みを綴った手記を中心に展開されます。
ロッテに恋をしますが、アルベルトという婚約者がいます。
時間の経過とともに思いが募り、ロッテのことばかり考え、嫉妬もし、一緒になれない現実を受け入れられず、最後は死を選びます。
あなたのために死ぬ、あなたのために身を捧げるなんて、こんな幸福なことがあるでしょうか! あなたが人生の安らぎと喜びを取り戻せるなら、ぼくは勇気を持ち、喜んで死にます。しかし、身近な人のために血を流し、その死によって友だちに何百倍もの新しい命を吹き込めるのは、高貴な人間でもごくわずかでしょう。
(p. 218)
なんて身勝手なんだろうか。
青年としての悩みは共感できますし、彼を応援したくもなります。
でも、最後がいけない。
「気持ち(思い・考え)」と「行動」は分けて考えたい。
行動に移してはいけないことがある。
どれだけ悔しくて相手に文句を言いたくなっても、超えてはいけない一線があるのと一緒です。
自身の心のコントロールのできなさが原因なのに、そこを包み隠して、相手に攻撃を与えてしまう。
経験としての記憶が嫌悪感につながったのかもしれません。
ウェルテルの自死は、ロッテへの愛情ではなく、ロッテへの攻撃だと解釈しました。
構ってほしい、振り向いて欲しいと、自分の存在を見せつけるようにして死を選ぶ。
相手が一生苦しんで生きていくことが想像できるのにもかかわらず。
作品の冒頭で、ウェルテルに関しての資料を集めたとする語り手がこう読者に話しかけます。
きっとウェルテルの精神と人となりに感嘆し、その運命に涙を禁じえないだろう。
(p. 7)
最後まで読んでからここに目を通すと、「はあ?」となります。
途中までは共感できても、彼の運命に涙なんて流せない、最後の行動だけは納得いかない。
ゲーテはなぜこんな文章を書いたのだろうか。
冒頭の言葉を頭に置きながら終盤まできた読者が、自分のエゴで他人の人生を壊そうとする「行動」を目の当たりにしたとき、「今までの共感って何だったんだ」となる。
それを狙っていたとしたら?
ゲーテを巡る旅も半ばまできました。
