『暴君 – シェイクスピアの政治学』(スティーブン・グリーンブラット著/岩波書店/2020年)

なぜ国家は暴君の手に落ちるのか?
暴君とは何なのか?
このテーマをシェイクスピアの『ヘンリー六世』、『リチャード三世』、『ジュリアス・シーザー』、『リア王』、『マクベス』、『冬物語』などを通して考察しています。
混乱の時代には、人々の不安を利用する人物が必ず現れる
派閥争いや分断のある社会では、ポピュリズムが台頭する。
こういった社会背景の中で、エリート層は自分たちの利益のために「暴君」となる人物を利用しようとする。
暴君が権力を掌握すると、周りの人たちは大抵切り捨てられる。
暴君は明確なビジョンが欠如しているため、混乱を招くことになる。
そして、暴君の自分自身の弱さで自滅する。
最終的には、市民の政治活動が暴君による圧政をひっくり返す。
「シェイクスピアは、暴君とその手下どもは、結局は倒れると信じている。自分自身の邪悪さゆえに挫折するし、抑圧されても決して消えはしない人々の人間的精神によって倒されるのだ。皆がまともさを回復する最良のチャンスは、普通の市民の政治活動にあると、シェイクスピアは考える。」(p. 247)
「皆がまともさを回復する最良のチャンスは、普通の市民の政治活動にある」という部分から、現在読み途中の『自由の命運』(ダロン・アセモグル著)を連想しました。
『自由の命運』では、自由というのは国家と社会の力関係が均衡していないと実現できないとしています。
市民が政治参加し国家に異議を申し立てる社会、それを「足枷のリヴァイアサン」と表現しています。
暴君の手に落ちてしまった政治を覆せるのは、結局はわれわれ一般市民がどれだけ声を上げられるかにかかっているのではないかと思いました。
私はシェイクスピアの作品では、『リチャード三世』が一番好きです。
自尊心が欠如し誰からも好かれない人物が、いろいろな手を打ちながら周りを蹴落としていき、最終的に王になる。
自分の手で殺した相手の未亡人を誘惑し妻とするところ、権力を握ったあとは周りを信じられなくなり結局は孤独になるところが面白い。
最後は戦場で延命のために「馬をくれ!王国と引き換えでもいい!」って叫びながら殺される。
本書では、『リチャード三世』に関連し以下のようなことが書かれています。
「暴君は正直な忠誠だの、冷静で偏見のない判断だのに興味はない。むしろ、追従と確認、そして従順さがほしいのだ。」(p. 112)
「いらいらは、シェイクスピアの見立てでは、権力を握った暴君が必ず見せる特質だ。」(p. 114)
「シェイクスピアは、もう一つの暴君の特質を垣間見せてくれる。すなわち、絶対的な孤独だ。」(p. 118)
私は学生時代に、演劇学部にいたこともあり、シェイクスピアの作品をたくさん読みました。
当時は政治などには興味がなかったため、演技の視点でしか読んでいませんでした。
シェイクスピアの作品を「暴君」といった視点で読み返してみると、また違った面白さが出てくるのではと感じました。
『ヘンリー六世』、『リチャード三世』、『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『コリオレーナス』、『ハムレット』あたりを読書リストに追加したいと思います。
