1152 言葉の好き嫌い

「解像度」という言葉がキライです。

画像の解像度ではなく、仕事において「解像度を上げていこう」といった具合に使われます。

詳細に、具体的にしていくといった意味合いです。

なぜこの言葉を使う必要があるのだろうか。

「対象顧客のニーズを具体的にしていこう」で十分伝わるのに。

ある小説で思考停止状態をこう表現していました。

「脳が溶けていく」

比喩としてもわかるし、こういう言い回しをする人も多いのでしょう。

でも、読んでいて気持ちがいいものではない。

本当に溶けているなら仕方ないですが。

近現代の文学を読んでいると、今では使われない表現が出てきます。

こういうのが案外しぶくて良いのです。

「〜して了(しま)った」

たとえば、「食べてしまった」を「食べて了った」と書いている。

この閉じた感じがいい。

「〜の考があった」も惹かれます。

「考え」ではなく「考」と、送り仮名がないのでちょっと古風です。

「こう」と読みたくなる。

当時はこれが一般的な表現だったのかもしれませんが、今こういう字面を見ると新鮮です。

言葉の好き嫌いは理屈ではないのでしょう。

よくわからないんだけど、なんだかイイ。

ただただ、イヤ。

「国境の山々はもう重なりも見分けられず、そのかわりそれだけの厚さがありそうないぶした黒で、星空の裾に重みを垂れていた。」(川端康成『雪国』)

対象にしっかり近づいた言葉や言い回しが好きです。

経営経験やコーチングの実践を通じて、深い対話により経営の選択肢を広げ、納得感のある意思決定をご支援しています。また、組織やチームの関係性を育む支援に取り組んでいます。3Cサポーター/中小企業診断士
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