『ファウスト』(悲劇第一部・第二部)(ゲーテ著/手塚富雄訳/中央公論新社/2019年)


ドイツの文豪ゲーテの作品。
間を置かずに再読しました。
1回目は内容がいまいち掴めなかったのですが、2回目でかなり理解できました。
正しい解釈はわかりませんが、あくまでも今の私の受け止め方です。
主人公のファウストは、悪魔であるメフィストと魂を賭けた契約を結びます。
この「瞬間」に対して「とまれ、おまえはじつに美しいから」(第一部 p. 142)と言ったら魂を取られてもいいと。
その代わり、悪魔の力を借りて全人類が経験するあらゆることを経験しつくすことを手伝ってくれと。
そして、霊や古代ギリシャの神々などが出てきて、さまざまな出来事が起こっていきます。
グレートヒェンとの恋と別れ。
皇帝のために国を富ませたこと。
ヘレン(ギリシャ神話に出てくる絶世の美女)との結びとオイフォリオン(子ども)の誕生。
海岸沿い地域で、海を埋め立てた土地開発。
最後はファウストが「とまれ、おまえはじつに美しいから」と言ったことで生涯を閉じます。
その魂はメフィストの手(地獄)に行くのではなく、神に救済されます。
私が感じたのは、ファウストはゲーテその人であり、これは魂の成長の物語だということ。
ファウストはあらゆるものを学びながら自分はこの世界のことはなんでもわかると思ってきた。
「神の領域」にも近づいたという幻想もあった。
でも、ふとした瞬間に、知っても知ってもわからないこの世界があるという現実を突きつけられた(地霊により)。
その現実から目を背けたくなった(=メフィスト)。
でも、最終的には自分自身の目で見ないといけないということに気づいた(=救済)。
悪魔のメフィストはファウストの内なる存在なんです。
悪魔も必要なもの。
第一部が始まる前の「天上の序曲」で主がこう言っています。
人間の活動はすぐたゆみがちになる、
すぐ絶対的な安息を求めたがる。
だからわしは、刺激したり引き込んだりする仲間を人間につけておく、
それを悪魔としてはたらかせておくのだ。
(中略)
永遠に創りはたらく生成の力が
おまえたちのまわりに愛のやさしい垣根を結いめぐらすがいい。(第一部 p. 37)
でも、ある瞬間にメフィスト(悪魔)を必要としなくなったことで、ファウストは自立でき、それが救済へとつながる。
外ばかり見ていて、追っかけて、追っかけても、一向に満足できない。
なぜか。
それは、「いま、ここ」ではないから。
さまざまな出来事を経て、最後は自分の内に目が向くようになった(第三の女である「憂い」に盲目にさせられる)。
自分の内に目が向いたとき、はじめて利他で考えられるようになる。
そして、利他で考えたことが実現していることを想像したとき、「とまれ、おまえはじつに美しいから」と言えた(満足できた)。
つまり、「いま、ここ」を体現できた。
だから、その魂は救済された。
『ファウスト』で出てくるエピソードはすべてファウスト自身の幻想であり、「芝居」だったのだと思います。
第一部が始まる前の「舞台での前戯」で、このはちゃめちゃな世界観はすべて芝居であるとすでに示唆しています。
その芝居(幻想)がはちゃめちゃすぎるから、1回目に読んだときは意味がわからなかった。
でも、これをファウスト(=ゲーテ/人間)の魂の成長の物語として読んだら、こんなに深い作品ってあるのかと震えがきました。
印象に残った場面はたくさんあるのですが、いくつか記しておきたいと思います。
まずは、「造花」と「ばらの蕾」がやりとりする場面。
造花は見た目は綺麗ですが、人工物なので成長はないもの。
ばらの蕾は自然のものなので、たとえまだ花は咲いていなくても、これから成長していくもの。
そこにこそ価値がある。
「賢さ」がこう言う場面があります。
人間の生活にとって最大の敵がここに二人いる、
恐怖と希望。それをわたしは鎖につないで、
世の中から遠ざける。(第二部 p. 72)
恐怖はわかりますが、なぜ希望も敵になるのか?
それは、外側の何かを希望すると「いま、ここ」から離れるから、と私は解釈しました。
「富」と「美・善」を対比させる場面があります。
富とは混乱や醜さを表す。
でも、美・善は孤独であると。
美・善は「いま、ここ」を掴むものであり、恐怖や希望があると辿り着けないものです。
「いま、ここ」には自分の内に入っていくしかない。
それは「孤」になるということ。
合唱が4つの精霊に分かれる場面があります。
木の精、山の精(やまびこ)、泉の精、葡萄の精。
これは、人にはそれぞれに持ち場があるということを表していると感じました。
自分の持ち場で咲けばいい。
外を見て他人と比較しても仕方がない、自分自身であれと。
プロテウス(変化の象徴)がホムンクルス(人間になりかけているガラス)にこうアドバイスする場面があります。
まず広い海に出て、第一歩から始めることだ。
最初は小さいことから始めて、
ごくごく小さいものを栄養分にして喜んでいるがいい。
そうやってだんだん生長して、
もっと大きい事ができるよう、自分を仕上げてゆくのだ。(第二部 p. 297)
どうやれば人は成長できるのか。
まさしくそれを言っている気がします。
最後に、天使たちの言葉。
どんな人にせよ、絶えず努力して励むものを、
わたしたちは救うことができます。(第二部 p. 598)
ファウストが救済されたのは、最終的に上を目指す状態になったから。
その上とは何か。
それは、「いま、ここ」で満足できる状態。
ほんとうに深い作品です。
出会えてよかった。
