『神曲 天国篇』(ダンテ著/平川祐弘訳/河出書房新社)

イタリアの詩人ダンテが14世紀に記した作品です。
ダンテの『神曲』は「地獄篇」・「煉獄篇」・「天国篇」の3篇からなる叙事詩です。
本書は「天国篇」で、33歌です。
「地獄篇」・「煉獄篇」・「天国篇」の合計で100歌になります。
主人公は35歳のダンテ本人で、古代ローマの大詩人であるウェルギリウスの導きをえて、地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出ます。
「地獄篇」では、地獄がどういうもので、現世でどんな行為をした者が地獄へ送られるかが出てきます。
「煉獄篇」では、地獄行きから救われた死者が、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食、色欲、高慢などの罪を清めている場所が描かれます。
「天国篇」では、ウェルギリウスに代わりベアトリーチェがダンテを導き、第一天から第十天を巡ります。
地獄・煉獄・天国を、私は「理性 → 理性・愛 → 愛」の変化という視点を持ちながら読みました。
理性的なものから、愛のあるものへと変化する。
最終的に大切なものは愛である。
天国篇では、光がよく出てきます。
その光が眩しすぎて直視できないときもあります。
最終的に見た大きな光が神でした。
仏教も同じように光が出てきます。
光は神の象徴なのでしょうね。
『神曲』は詩であるため理解しづらいところが多々あります。
背景となる宗教的な知識がないとなかなか読みづらい。
それでも、世界観は伝わってきました。
地獄はどんなところで、煉獄はどんなところで、天国はどんなところか。
私は仏教の考え方がベースになっているため、「魂がそこに留まるのではなく、早く下界に戻って成長の続きをすればいいのに」と思いながら読みました。
地獄で何百年も留まっている魂を見たとき、「慈悲」ってあるのかなと疑問に。
下界で善行をした人たちは天国にいるわけですが、その人たちも早く下界に戻って新たな役目を仰せつかった方がいいのではないかと(笑)
『神曲』を読むことで、自分がどういう考え方をしているのかということを確認する機会になりました。
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ちなみに、私の世界観を物語にするなら、次のような文からはじまります。
「花びらが地に口づけをするとき、赤子の泣き声が聞こえた」
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『神曲』を寝る前に読んでいました。
ダンテの旅に同行している気持ちで、この世界観に浸りながら眠る。
気持ちのいい読書体験でした。