ちょうど1年前、私は「社長」という肩書きがなくなりました。
このときに感じた気持ちはなんとも言えないものでした。
肩書きがなくなることは大変興味深い体験でした。
開放感と空虚感が織り交ぜになり、そしていかに「思い込み」や「暗示」が大きく自分の行動に影響していたかということを感じました。
会社の経営に携わっているとき、スタッフは私を「社長」と呼んでいました。
ファーストネームでも良かったのですが、敢えてその呼ばれ方のままにしていました。
それは、そう呼ばれて気持ちが良いからではなく、「社長」と呼ばれることで自分を律していこうと思っていたからです。
新米社長としては、自分を律することが何より大事になると思っていました。
全ては「社長」の責任です。
自分を追い込むためにも、この肩書きを使わせてもらいました。
ちなみに、私が経営支援という形で経営者と対峙する際には、敢えて「〇〇社長」と呼ぶようにしています。
それはリスペクトという面もあるのですが、「社長」としての自覚を促すことも意図しています。
特に創業したての人はそうですね。
この肩書きがなくなった日。
不思議な感覚でした。
ストレスから解放された爽快感と同時に、寂しさも感じました。
役職者が定年退職する際に感じる気持ちとはこういうことなんだろうなと思ったものです。
そして、今まで自分を「社長」という枠にはめ込んでいた日々から開放されたことで、「本来の自分」が戻ってきたように感じました。
この自分を「社長」という枠にはめ込んでいたことが、自分の行動を制御していたように思います。
と同時に、虚しさを感じたことも覚えています。
1日でこれほどまでに自分自身に対する捉え方が変わるんだなと。
それくらい肩書きの持つ大きさがわかります。
「地位が人を成長させる」とよく言います。
地位、役割といったもので人の思考・行動が変化し、成長にもつながります。
でも、肩書きにしがみついているうちは未熟ですね。
肩書き、資格、地位、役割、名誉、全てなくなっても、「自分」で生きられるようにならなければならない。
人生の節目を振り返ると、いろいろな気づきがありますね。